【世界糖尿病デー】記念レポート:世界初のプロチームの挑戦「チーム ノボ ノルディスク」
毎年11月14日は、WHO(世界保健機関)が定める「世界糖尿病デー」です。全世界規模で糖尿病の脅威を社会的に周知し、その予防や対策に向けたキャンペーンを推進する日とされ、日本でも数多くの関連イベントが実施されています。今年は過去最多の200件が催されるとされます。今日は、多くのメディアで関連報道がされることでしょう。
プロスポーツの世界でも、糖尿病に対する啓発の機会を、これ以上ない形で提供しているチームがサイクルロードレース界に存在します。所属する選手全員が1型糖尿病の患者という、世界唯一のプロサイクリングチーム「チーム ノボ ノルディスク」です。
糖尿病の中でも特に1型は、何らかの原因で体内の糖分を消化するインスリンが分泌されなくなってしまうという、本人には何の落ち度もない病気であり、体外からインスリンを定期的に摂取し体調管理を自らしっかり行えば、アスリートレベルの激しい運動を行うことさえも、まったく問題ありません。その事実を「患者」自身が身をもって体現することで、世界中の患者へ、自身の病気に前向きに取り組む気持ちを持ってもらいたいとメッセージを発しています。そのことを示すように、チームは結成当初から所属カテゴリーを順調にステップアップさせ、UCIプロコンチネンタルチームとして世界を転戦。近年は毎年10月に宇都宮で開催される「ジャパンカップサイクルロードレース」にも参戦し、好成績を挙げる一流のプロチームへと成長しています。
チームはこうした本来の活動のほかに、世界各地で一般の方々に対する啓発イベントも積極的に行っています。ジャパンカップの前には、東京丸の内から開催地の宇都宮まで、一般の応募者と一緒に走破するイベントも行ったほか、「RoadShow」と題し、チームにかつて所属した元プロサイクリング選手、ジャスティン・モリス氏をアンバサダーとして、彼自身の体験を話してもらうことで理解と共感を深めるイベントを日本各地で開催しました。
今回は世界糖尿病デー記念記事として、東京丸の内「KITTE」で行われた回(2017年10月29日)の中で、チームアンバサダーのジャスティン・モリスさん(元プロライダー、元チーム・ノボ ノルディスク所属)が行った講演を、できるだけそのまま採録してお届けします。
コンニチハー TOKYO! ハジメマシテ。
今回4回目の来日ですが、来るたびに日本語を覚えようと頑張っています。少なくとも、1日1語は覚えようとと思っています。今週新しく覚えた単語のひとつが、「ジテンシャ」です。2つ目が、「トウニョウビョウ」、そして3つ目は、私自身も、1型糖尿病を抱えている方々にとっても最も大切だなと思っていますが、「ユウキ」です。
今日は私に幸せをもたらしてくれた、自転車競技への情熱や仲間についてお話ししたいと思います。もちろん、幸せなことばかりではありません。困ったこともあったり、フラストレーションがたまることもあったり、悲しいことをもたらすものもありました。それは、1型糖尿病と生きていく、ということです。
(10歳の頃)非常に体調が悪くなり、ベッドから起き上がることもできなくなったので、両親が見かねて病院に連れて行ってくれ、そこで1型糖尿病の診断を受けました。その時、非常に太くて長い注射針の注射器を見せられ、これで1日何回も(インスリンを)体に注射しないと生きていけないと言われました。私は、とてもとてもショックを受けました。
その頃の私には、飛行機のパイロットになりたいという夢がありました。治療の最初の頃、母に「パイロットになれるよね?」と聞いたのですが、母は滝のように涙を流し「とても残念だけど、無理よ」と言いました。私は人生が終わってしまったと感じるほど、相当に落ち込み、生きていく意欲も希望もほとんど消え失せ、鬱々とした日々を送っていました。学校でこの病気を持っていたのは自分一人だったこともあり、非常な孤独感に苛まれ、一生このままこの病気に人生をコントロールされ、制限されてしまうんだと思っていました。
しかし治療に通っていたある日、主治医の先生の部屋に、オーストラリアでは非常に有名なラグビー選手であるスティーブン選手の写真が飾ってあるのを見つけたんです。先生に聞いてみると「彼も君と同じ1型糖尿病だよ」と教えられました。私はこれを聞いて「1型糖尿病なのにこんなに成功できるのか」と驚き、人生の可能性の扉が開いたような気がしました。「ユウキ」の扉を開けてくれたような気がしたのです。
そんなわけでスティーブン選手に憧れ、まずはラグビーを始めたんですが、華奢な体だったので試合のたびに鎖骨や腕を骨折するような有り様でした。たぶん試合に出ている時間よりも救急車で運ばれている時間のほうが多かったのではないかと思います(笑)。1年くらいやってみましたが向いてないな、ということで断念しました。
そんな感じで高校時代を迎えたのですが、糖尿病を抱えているのが自分一人だったということや、他の生徒と違って見えるということもあったのか、からかわれたりすることがたびたびありました。特に登下校のスクールバスの中でそんな目に遭うことが多くて、乗らないと学校に行けないんですが、なんとかこれを避ける方法がないかといろいろ考えました。最初は徒歩で通いましたが、やっぱり時間がかかるので何度も遅刻し、先生に呼び出されたりしたんです。そんな時、父が古い自転車をガレージに置いていることを思い出し、それで通学してみようと思い立ったのです。
乗ってみると楽しくて、自然と笑みがこぼれていることに気がつきました。すぐに毎日自転車で通学し、週末も自転車でどこかに出かけるという生活になりました。やっぱり楽しいというのはモチベーションになるんですね。学校でいやなことがあっても、帰りは自転車なので笑顔になれる。そのうち、大好きなこのサイクリングを仕事にできないか、プロのサイクリストになれないかと思うようになりました。
そこからトレーニングを始め、何千kmも走り、幾度落車しても諦めずに努力を続け、10年あまり続けた2009年、念願のプロ契約を結びました。好きなことを仕事にすることができ、5年間で5大陸すべてで行われたレースに出ることもできました。本当に、自分は夢を叶えることができたと思っています。
世界中をレースで回りましたが、自転車と一緒についてくるのが、(自身の)糖尿病でした。対処がしやすい国もあれば、しづらい国もあります。たとえばひとつの例としては、モンゴルがあると思います。日本と違って国土が非常に広大な割に人が少ない。人よりも馬の数のほうが絶対に多いと思います(笑)。
そんな国で近年開催されているのが「モンゴリア・バイク・チャレンジ」です。非常に過酷なレースで、7日間で約1,000kmを走破するんです。その間はテントで野営、食事は自炊、シャワーなんてもちろんないので、余った水をかぶって代わりにする、そんなレースです。最後まで完走できる人は半分だけ。今年自分はこのレースに参戦して、完走する1型糖尿病患者の最初の人になろうと決心したんです。
現地では不安を覚えながらのスタートでしたが、自分の予想より調子よく滑り出し、4日目までは先頭集団に入っていました。しかし4日目に嵐が襲ってきまして、バケツをひっくり返したような豪雨と急激な気温低下で、体がすっかり冷え切ってしまい力がでなくなり、集団から遅れ、血糖値が下がっているなということも実感しました。
(非常に辛くて)バイクを降り投げ出してその場に座り込みました。なんと厳しいレースなんだと、泣きたい気分でした。血糖値の低下時にと用意していた補給食を座り込んで食べながら、リタイヤしたほうがいいんじゃないかなとまで考えました。でもそんなとき、非常におかしな話なんですが、自分が小さいころ両親から読み聞かされた「ChooChoo」の一節が頭の中に浮かんできたんです。このお話は小さな機関車が、自分の何倍もの大きさの山を登っていくんですが、その過程で「I Think I Can.」(自分はできる)と自分に言い聞かせながら、ついに山の頂上にたどり着くというお話なんです。このフレーズが頭に浮かんだことで、私はバイクに再び乗り、走り出すことができました。3日後の完走まで、続けることができたんです。
フィニッシュ時の成績ですが、トップ10以内に入ることができました(成績表はこちら。9位にジャスティン・モリスの名前が見える)。
(場内、盛大な拍手)
アリガトウ。でもこれが自分の限界だとは思っていません。私が申し上げたいのは、糖尿病患者にとって様々な難関、チャレンジはあると思いますが、それは障害、バリアではないということです。それを乗り越えるのに必要な燃料は「ユウキ」なんだと思います。私にとってはそれがさきほどのフレーズだったわけですが、皆さんにとっても、苦しい時、あの言葉を思い出せばとか、あの人のことを思い出せば乗り越えられるというものがあると思います。
そして、これらのことは私一人の力で実現できたとも思っていません。私は幸運なことに、周りから素晴らしい支援を得ることができました。その支援ひとつひとつが、私が夢に向かって登っていくためのはしごの横木になってくれたのではないかと思っています。そしてチーム ノボ ノルディスクのチームメートやスタッフは、私に素晴らしいサポートとインスピレーションを与えてくれました。このチームは世界で初めて、全員が1型糖尿病患者で構成されているプロサイクリングチームです。
私たちはプロチームとして、(一番困難な)トップカテゴリーのレースにも参戦しています。そのひとつが先週宇都宮で行われた「ジャパンカップ サイクルロードレース」です。私たちは才能あふれる若い人材をチームに迎えたいと思っていますが、今年の夏、将来一緒に走る可能性のある若き日本人サイクリスト、(大原)慎人 君と一緒に走る機会を持つことができました。13歳の彼は父親と一緒に、鎌倉から広島まで、5日間で900kmを走るという快挙を成し遂げました。これは彼が糖尿病を患っているということを抜きにしてもすごいことですし、多くの方にインスピレーションを与えることだと思います。
私は10歳のときに診断を受け、パイロットの夢を諦めるようにと言われました。しかし数年前にスペインで開催された会合で、イギリスから来られたダグラスさんという方に出会いました。35年前に1型糖尿病と診断されたそうなんですが、なんと彼はイギリス空軍のパイロットだったのです。彼以外にも、1型糖尿病でありながらパイロットを務めている方が複数いらっしゃることも分かりました。
このことを聞いて私は、糖尿病であろうとなかろうと、これと思って頑張れば、人生で不可能なことなど何もないのだと改めて確信しました。人生において、人は様々な困難に直面します。1型糖尿病を抱える人は、普通の人より多くそれにぶち当たるかもしれません。しかしそれは挑戦、チャレンジであって、決して障害、バリアではないのです。そしてそのチャレンジを乗り越えるためには「ユウキ」が必要なんだと思います。
診断されたばかりの頃、ある人から素晴らしい言葉をもらいました。「糖尿病を克服するには、ヒーローでいなくてはいけない。だけど糖尿病はヒーローしか選ばないから、心配することはないよ」
その言葉は、私が自分の糖尿病と付き合う上で、とても役に立っています。
ご清聴、アリガトウゴザイマシタ。
(会場拍手)
いかがでしょうか。10歳の告知の時「人生が終わった」とまで感じた彼が、自転車に出会い、自身の努力と仲間の支援を得て、前人未到の快挙を達成するというお話。自分もその場で聞いていましたが、本当に胸が熱くなりました。
チーム ノボ ノルディスクには、彼のように1型糖尿病を抱えながら一流のプロライダーとして活躍する選手が19人登録されています。下部の育成チームなども含めると、100人以上の「患者」さんが所属し、それぞれの夢に向かって頑張っているそうです。数年前、個人的にジャパンカップで取材させていただいた時、インタビューに応じてくれた選手全員が「日本が大好き。いつもたくさんの声援を送ってくれる。絶対にまた来る」と言ってくれました。その言葉を示すように以後も毎年参戦し、いまでは来日する他のワールドツアーチームと同じくらい注目され、声援されています。
チームとしては、2021年のツール・ド・フランス出場を目指しています。現在与えられているUCIプロコンチネンタルチームというランクは、サイクリングチームのヒエラルキーとしては上から2番目です。ツール・ド・フランスにおいてトップカテゴリーではないチームが選ばれる枠はもともと3-4枠しかなく、しかもその大部分は地元フランスのチームで占められる傾向にあります。率直に言って、相当に高い困難な目標ですが、彼らにとってその困難はまさに挑戦であって、決して障害ではないのです。今後サイクルジャパンとしても、彼らの活躍をできるだけ追っていきたいと思います。